最近ガールズトークばかりを聞かされている。
内容はともあれ、好きな彼の話をしているときの皆の表情がほんとに可愛いと思う。そんなことを彼女たちに伝えると、私のそういう顔も見てみたいという。はっはっは。そしたら漫画か宇宙飛行士の話をさせてくれよと思う、良い顔するんだけどな。
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と、書いたところでまたコーヒーしない?とメールがきた。
今日は何があったのかなぁと思いながら部屋に行くと、何やら重大な話があると言うのだ。今朝から河合隼雄の本をずっと読んでいたので妙に落ち着いていた私。なんちゃってカウンセラーにでもなった気分だったのだろうか、顔色ひとつ変えず(たぶんね)ウンウンとひたすら話を聞いた。興奮していた彼女も話ながら落ち着いてきたのか、話し終わると眠くなったようで今日は早めに解散。
たまに、「あ、例のガールズトークね」なんて男性陣から言われることがあるのだけど、女子にとってはこれも大事なことなのだ。まぁ正直言うと、私だってうんざりするときもあるけれど、女にしか分からないことだってあるのよね。こっちに来てからもたくさんの恋愛話を聞いているのだけど、私の勝手な偏見で言うと韓国人は猛プッシュというイメージで、インド人はシャイ、日本人は気にし過ぎ、白人は...どうだっけな。と、一応言ってみたけれど、国で決めつけるのは本当にナンセンスだ。
話を聞いていて気になるのは、(これは日本人に限るけど)皆 完全に受け身なのだ。一応好きという気持ちは持っているけれど、そこからどうなるかは相手の出方次第で、いつも「どうしよう」と言ってばかり。しかも「傷つきたくない」という言葉もよく聞く。振られるのが怖い、まぁ分からなくもないけれど、勝手な妄想で毎日のように悩み続けるほうがもっと苦しくないのか。色々理由をつけて毎回同じことを言う彼女たち。結局は好きという気持ちより、自分がどう思われるのか、自分を傷つけないように、そんなことばかり気にしている。
逆に皆に驚かれることは、、
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また別の子がやってきて、ガールズトークをして帰っていった。皆ね、今から行くよメールくらいくれよと私はいつも思っている。いつも急なのだ、気が抜けない。うっかりカップラーメンなんて食べられないじゃんね。
とりあえずガールズネタはもう終わりにしよう、中途半端だけどね。時間が開くと気分も変わるのだ。最近ガールズトークでもなんでも、何か相談されるとついつい言ってしまうことがある。「人の気持ちなんてどんどん変わるんだ、この前あぁだったこうだったじゃなくて、これからこうなるかもしれないでもなくて、今だよ、今。」まったく同じことを自分が言われたばかりなんだけどね(笑)、でも本当にそうだと思うのでちょっとお裾分けをしているところなのだ。話を聞いていると、過去や未来に縛られている人がとても多いなと思う。私も過去からは切り離されてると思っていたけれど、未来のことにはすごく縛られていた。明日のことは明日決めていいんだよと言われ、変に納得したのを覚えている。誤解のないようにしたいので付け加えるけれど、別に今を過去や未来につなげちゃだめと言っているわけではないのだ。つなげてもいいし、独立させてもいい、そう教えてもらったんだ。
NZに来てよく考えるのが「依存」と「独立」について。誰かがいないと一人で立っていられない女の子になんてなりたくない、そういう意味で独立という言葉を使っていたのだけど、それが海外へ出た一つの理由でもある。私はずっと悔しかったのだ、かっこいいなと思っている人たちはいつだってサラッと助けてくれるし、私の悩みなんて可愛いくらいにしか思ってないんだと私はそう感じていた。私だって一人でちゃんと立てるんだぞというところを見せたかったのだ。しかし、『魂にメスはいらない(1979)』の中で
“だから最近の心理学では、依存と独立というのは反対概念にとらないですね。必要に応じてどの程度ちゃんと依存できるかというのは、むしろ独立心のあらわれみたいに考えています。特に若い人たちがよく失敗するのは、独立しようと思って依存心をなくし過ぎるんですね。ぼくは
「あんたのは独立と言わずに孤立と言うんや」とよくひやかしているんだけどね。”
と河合隼雄が言っていて、ハッとする。そうか、独立と孤立は違うよな!と自分の行動や考えを見直してみた。
依存のことに関して言えば、自分が依存するというよりは、他人を自分に依存させないということでよく「依存」ということを考える。インストラクター時代からそのことは常に思っていて、生徒に依存される先生にはなりたくなかった。「先生がいないとダメ」なんて言われたら終わりだと思っていたし、実際言われてみて嬉しいとはやっぱり思えなかった。そりゃインストラクターをやり始めた頃は嬉しかった、私がいないとダメなのか♩とニコニコしていた。しかし、いつからかそれに違和感を感じ始めたのだ。あれ、なんかおかしい、と。
友人関係のなかでもよくあった。べったりされる=頼られているんだと、時にはそれでストレスも感じていたけれど、やっぱり頼られると嬉しいと思っていた。けれどそれも何か変と感じていた。
Macを使い始めた頃、分からないことがある度に聞いていた。しかしこんなことを言われる、「世界のおだんごたるもの、自分で調べられないでどうする」と。それから分からないときはこうやって調べるんだと教えてもらい、本当に分からないときだけ聞くという風に変えていった。母と子の依存関係なんてことを言い始めると、ものすごい深層部分の話になってくるけれど、このMacの話だって私にとっては大きな依存だった。あの時ああ言ってもらえてよかったと、自分で調べる度によく思い出している。
とまぁ、独立・依存について考えることが最近多いんだーということなのだ。
一昨日からマッチ棒クイズにちょっとハマっていて、というよりムキになっていて、55問目がどうしても解けなくて夜も眠れない。
4×4のマス目で、肌色がマッチ棒ね。『マッチ棒を4つだけ移動させて、同じ大きさの正四角形5つを作ってください。』というのが問題なのだ。昨日から考えているのだけど、やっぱり分からない。恐るべしマッチ。