2012年7月25日水曜日

最後はマッチで。

最近ガールズトークばかりを聞かされている。
内容はともあれ、好きな彼の話をしているときの皆の表情がほんとに可愛いと思う。そんなことを彼女たちに伝えると、私のそういう顔も見てみたいという。はっはっは。そしたら漫画か宇宙飛行士の話をさせてくれよと思う、良い顔するんだけどな。

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と、書いたところでまたコーヒーしない?とメールがきた。
今日は何があったのかなぁと思いながら部屋に行くと、何やら重大な話があると言うのだ。今朝から河合隼雄の本をずっと読んでいたので妙に落ち着いていた私。なんちゃってカウンセラーにでもなった気分だったのだろうか、顔色ひとつ変えず(たぶんね)ウンウンとひたすら話を聞いた。興奮していた彼女も話ながら落ち着いてきたのか、話し終わると眠くなったようで今日は早めに解散。

たまに、「あ、例のガールズトークね」なんて男性陣から言われることがあるのだけど、女子にとってはこれも大事なことなのだ。まぁ正直言うと、私だってうんざりするときもあるけれど、女にしか分からないことだってあるのよね。こっちに来てからもたくさんの恋愛話を聞いているのだけど、私の勝手な偏見で言うと韓国人は猛プッシュというイメージで、インド人はシャイ、日本人は気にし過ぎ、白人は...どうだっけな。と、一応言ってみたけれど、国で決めつけるのは本当にナンセンスだ。

話を聞いていて気になるのは、(これは日本人に限るけど)皆 完全に受け身なのだ。一応好きという気持ちは持っているけれど、そこからどうなるかは相手の出方次第で、いつも「どうしよう」と言ってばかり。しかも「傷つきたくない」という言葉もよく聞く。振られるのが怖い、まぁ分からなくもないけれど、勝手な妄想で毎日のように悩み続けるほうがもっと苦しくないのか。色々理由をつけて毎回同じことを言う彼女たち。結局は好きという気持ちより、自分がどう思われるのか、自分を傷つけないように、そんなことばかり気にしている。

逆に皆に驚かれることは、、

-----------------------------------------------------------〈中断〉

また別の子がやってきて、ガールズトークをして帰っていった。皆ね、今から行くよメールくらいくれよと私はいつも思っている。いつも急なのだ、気が抜けない。うっかりカップラーメンなんて食べられないじゃんね。


とりあえずガールズネタはもう終わりにしよう、中途半端だけどね。時間が開くと気分も変わるのだ。最近ガールズトークでもなんでも、何か相談されるとついつい言ってしまうことがある。「人の気持ちなんてどんどん変わるんだ、この前あぁだったこうだったじゃなくて、これからこうなるかもしれないでもなくて、今だよ、今。」まったく同じことを自分が言われたばかりなんだけどね(笑)、でも本当にそうだと思うのでちょっとお裾分けをしているところなのだ。話を聞いていると、過去や未来に縛られている人がとても多いなと思う。私も過去からは切り離されてると思っていたけれど、未来のことにはすごく縛られていた。明日のことは明日決めていいんだよと言われ、変に納得したのを覚えている。誤解のないようにしたいので付け加えるけれど、別に今を過去や未来につなげちゃだめと言っているわけではないのだ。つなげてもいいし、独立させてもいい、そう教えてもらったんだ。



NZに来てよく考えるのが「依存」と「独立」について。誰かがいないと一人で立っていられない女の子になんてなりたくない、そういう意味で独立という言葉を使っていたのだけど、それが海外へ出た一つの理由でもある。私はずっと悔しかったのだ、かっこいいなと思っている人たちはいつだってサラッと助けてくれるし、私の悩みなんて可愛いくらいにしか思ってないんだと私はそう感じていた。私だって一人でちゃんと立てるんだぞというところを見せたかったのだ。しかし、『魂にメスはいらない(1979)』の中で


“だから最近の心理学では、依存と独立というのは反対概念にとらないですね。必要に応じてどの程度ちゃんと依存できるかというのは、むしろ独立心のあらわれみたいに考えています。特に若い人たちがよく失敗するのは、独立しようと思って依存心をなくし過ぎるんですね。ぼくは
あんたのは独立と言わずに孤立と言うんや」とよくひやかしているんだけどね。”


と河合隼雄が言っていて、ハッとする。そうか、独立と孤立は違うよな!と自分の行動や考えを見直してみた。


依存のことに関して言えば、自分が依存するというよりは、他人を自分に依存させないということでよく「依存」ということを考える。インストラクター時代からそのことは常に思っていて、生徒に依存される先生にはなりたくなかった。「先生がいないとダメ」なんて言われたら終わりだと思っていたし、実際言われてみて嬉しいとはやっぱり思えなかった。そりゃインストラクターをやり始めた頃は嬉しかった、私がいないとダメなのか♩とニコニコしていた。しかし、いつからかそれに違和感を感じ始めたのだ。あれ、なんかおかしい、と。

友人関係のなかでもよくあった。べったりされる=頼られているんだと、時にはそれでストレスも感じていたけれど、やっぱり頼られると嬉しいと思っていた。けれどそれも何か変と感じていた。

Macを使い始めた頃、分からないことがある度に聞いていた。しかしこんなことを言われる、「世界のおだんごたるもの、自分で調べられないでどうする」と。それから分からないときはこうやって調べるんだと教えてもらい、本当に分からないときだけ聞くという風に変えていった。母と子の依存関係なんてことを言い始めると、ものすごい深層部分の話になってくるけれど、このMacの話だって私にとっては大きな依存だった。あの時ああ言ってもらえてよかったと、自分で調べる度によく思い出している。


とまぁ、独立・依存について考えることが最近多いんだーということなのだ。




一昨日からマッチ棒クイズにちょっとハマっていて、というよりムキになっていて、55問目がどうしても解けなくて夜も眠れない。



4×4のマス目で、肌色がマッチ棒ね。『マッチ棒を4つだけ移動させて、同じ大きさの正四角形5つを作ってください。』というのが問題なのだ。昨日から考えているのだけど、やっぱり分からない。恐るべしマッチ。

2012年7月15日日曜日

うんまい

昨日の晩ご飯があまりにも美味しかったので載せちゃう。

昨日はFish Marketに行ったのだ。
外食もいいけど家で食べるのもいい。
生牡蠣をごくり、やっぱり海の幸っていいよね。

最近美味しいものをいっぱい食べている。
おかげで体重計に乗ると3つ数字が上がっていた。
確かに、ジャンプするのが辛くなってきたと思ってたんだ。
ますますおだんごまん丸に。

2012年7月13日金曜日

哲学って

iTunes UでMichael J. Sandelの講義を見始めたのがきっかけで、結局英語で理解したのは2講義だけだったけれど、その続きを日本語でさっき読み終えた。本屋に行く度にMichael J. Sandelの名前をよく見かけていたので名前だけは知っていたのだけど、読んだことは一度もなかった。『これからの「正義」の話をしよう』、この題名、見たことない?本屋さんでいつも「これ売れてます」印がついていたのを覚えている。私が今回読んだのは書籍ではなく、とあるサイトの日本語訳だったのだけど。


始めは英語でも楽しかった。分からないところをアランに聞きながら一生懸命講義を聴いていた。しかし、〇〇主義、◯◯派の話になってくると、どんどん英語で聴く・読むのが面倒になり、さらにはカントが登場したので完全に諦めてしまった。それでもこの講義の最後の展開がどうなるのかが気になり、日本語訳で最後まで読んだというわけだ。

正義とは何か、この答えが欲しくてこの本を読んだり講義を聴いたりするとあまりスッキリしないかもしれない。なぜなら、マイケル自身、まだ答えが出ていないようで最後はまた振り出しに戻っているのだ。最後の締めはこれだ...


When we first came together some 13 weeks ago I spoke of the exhilaration of political philosophy and also of its dangers, about how philosophy works and has always worked by estranging us from the familiar, by unsettling our settled assumptions and I tried to warn you that once the familiar turns strange, once we begin to reflect on our circumstance it’s never quite the same again. I hope you have by now experienced at least a little of this unease, because this is the tension that animates critical reflection and political improvement and maybe even the moral life as well and so our argument comes to an end in a sense but in another sense goes on. Why, we asked at the outset, why do these arguments keep going? Even if they raise questions that are impossible ever finally to resolve, the reason is that we live some answer to these questions all the time. In our public life and in our personal lives philosophy is inescapable, even if it sometimes seems impossible. We began with a thought of Kant that skepticism is a resting place for human reason where it can reflect upon its dogmatic wanderings but it is no dwelling place for permanent settlement, to allow ourselves simply to acquiesce in skepticism or in complacence, Kant wrote, can never suffice to overcome the restlessness of reason. The aim of this course has been to awaken the restlessness of reason and to see where it might lead and if we have done at least that and if the restlessness continues to afflict you in the days and years to come then we together have achieved no small thing. Thank you. 


まぁ長々とすべて読んでみたものの、彼がこの講義で言いたかったことはこの最後の部分を読むだけでも十分だと思う。私は前から哲学っぽい本を読むのが好きだった、もちろん哲学者の本も分からないなりに読もうと何度も手に取った。答えのない問題を考えるのが好きだった、「なぜ生きているのか」、何度考えたか分からない。でも急に嫌になった、考えていると変に落ち込むのだ。この手のことを考えてハッピーになったことはない、一日中ああでもないこうでもないと頭のなかをグルグル、何もしたくなくなる。

スピリチュアルも同じようなかんじだった。昔はスピリチュアルが大好きだった、あっちの世界にどれほど胸を膨らませていたことか 。でもある日突然目が覚めたように好きじゃなくなった。危ないなと思ったのだ。確かに目に見えない世界もあると思うし、目に見えない力を信じることもかまわない。けれど実際生きているのはそっちの世界ではなく、ここ。そっちに浸り過ぎると危ない。自分がそうだったからなのだけど、スピリチュアルの方向に行き過ぎると、上から目線で世の中や人を見てしまう傾向はないだろうか。魂のレベルが...なんて、よくもまぁバカげたことを考えていたなと今は思っている。あと、この世の中は狂っていると現実を見なくなっていたのも確か。


だからと言って、スピリチュアル的な生き方をしている人を否定するわけでもなく、嫌いになるわけでもなく、それはそれでいいと思っている。私だって、木々を見れば魂を感じるし、海を見れば地球も生きてんだなぁなんて毎回思うのだ。でもね、神様がこう言うからとか、そういうのは止めた。あれ、なんでスピリチュアルの話を始めたんだ?そうだ、スピリチュアル熱がある日一気に冷めたように、哲学熱も最近ふと冷めたんだ。それが言いたかった。


で、正義の話に戻るけど、Michael J. Sandelは(政治)哲学の使い方をこう言ってるんだ。哲学というものは、私たちがこれまで全く疑問にも思わなかったことに問いを投げかけて人々を悩ませ、考えさせる。例えば「なぜ人を殺してはいけないのか」とか、そんなの当たり前でしょと思うかもしれないけれど、果たして殺人は罪だと言い切れるのか。私は家族を人質に取られ、とある一人を殺さなくてはならなくなったとする。そのとある一人とは面識もなく、相手は両親も妻子もおらず独り身。その一人を殺せば私を含む家族4人の命は助かる。しかしその相手を生かせば4人の命は無くなる。この状況でも殺しはいけないのか、1人が死ねば4人が助かる。これが例えば100人だったらどうなるのか、1人を殺せば100人が助かる。
哲学者、そして私たちは長年同じことを議論しているけれど、未だに答えは出ていないのだ。懐疑主義といって、そんなことを考え続けるのはナンセンスだ!現実をみろ!という主張もあるけれど、それでも人々は同じことを考え続けている。それはなぜか。

The reason is that we live some answer to these questions all the time.


その疑問に答えを出しながら日々生きているから、と彼は言う。(翻訳サイトでは、これらの質問に対する答えを生きているからだ、とも書いてあってそれもいいなと思う。) さらに続けて、答えなどなくても哲学は避けられない、哲学を学ぶことで不安定な気持ちにもなるだろうけど、その不安が考え方や政治の行い方など、様々な場面で役に立つんだ、と言っている。


最近、哲学っぽく考えるのはもう止めようと思っていた。懐疑主義のように、考えても無駄だと思うようになっていたし、さっきも書いたけど、考え過ぎて不安になって、さらには何もする気が起きなくなる状態にわざわざ自分を持っていきたくなかったのだ。しかし今回これを読んで、ちょっと気持ちが変わった。というか、私の考えることなんて哲学というよりただの悩み事だけどね(笑)まぁこれから哲学に触れる機会があったとしたら、上手に吸収していきたいなと思う。何事もバランス。


あー、書き過ぎちゃった。

2012年7月9日月曜日

ジョージョー

「気分は上々」
中学の頃の口癖だった。上々という響きがなんだか格好良かったのだ。
そして、今、、今の気持ちもあの頃と一緒、気分は上々。

今朝は枝毛が猛烈に気になったので学校を休んでひたすら枝毛を切った。枝毛で学校を休むのは初めてだ。おかげで指の通りが良くなり、何度も何度も髪を触ってしまう。そう、やっぱり学校が嫌なのだ。分かっていたけど認めたくなかったので、なるべく口に出さないようにしていたけれど、やっぱり嫌なものは嫌なのだ。毎日たった2時間、残りはあと1ヶ月、お金もかかっている、、なんて色々並べたってもう無駄だ、引き止められないぞ。先週、辛くて道元師に便りを出したら大事なことを教えてくれた。さらには温かい言葉まで送ってくれ、あの日は昼間っから泣いた。その涙の気持ち良かったこと、空は青く澄み渡っていた。その数日後、勝(海舟)先生からも「時間を無駄にするなよ」と言われ、「たった2時間あと1ヶ月」が崩壊。さらに、「今を生きろ」と言われ、見えない先のことばかりに囚われていたことに気付く。そしてお月様を見ながら、自分の夢を思い出した。


そんなこんなで、今日はお隣さんとお互いの英語・日本語の勉強会。日本人はリアクションがオーバー過ぎると言われ、ニュージーやイギリス人っぽくしたければ控えたほうがいいよと教えてもらった。例えば、ずっと分からなかったことがやっと分かったとき「あ〜!そっか〜!やっとわかったぁぁぁああ!」なんていちいち反応しない、ということだ。スッキリするとついつい過剰反応しちゃうんだよね、と改めて自分の癖に気付く。ちなみに英語だと「That's it!」と言うことができるけれど、「ふ〜ん」くらいでいいらしい。お隣さんも日本語を使うときはちょっとオーバーにして、英語を話すときはそんなに反応しないと言っていた。

まぁそんな勉強会、今日はとても良い刺激をもらった。まず、お隣さんの持ってくる質問の量が私の5倍はあったことに驚いた。今日は私もかなりの量を持って行ったつもりだったけれど、そんなもの比じゃなかった。さらに納得するまで次に進まない、分からないときは絶対分かったと言わない、そんな彼を見ながら、私も100%分かるまでウンと言わないことにした。つい昨日までは気まずいお隣さんだったけれど、今日からは強い味方だ。




『あるホテルには部屋が500室あります。4と9の数字は使わずに、1号室, 2号室, 3号室, 5号室, ...と順に部屋に番号をつけていくと、500番目の部屋は何号室になりますか。』

久々に算数やると楽しいね。

2012年7月1日日曜日

あと1ヶ月半...

友達がいつもexchangeで英語を教えてもらっているから一緒にやらない?と誘ってくれたので、今日はそれに行ってきた。

しかし事件は起こった。なんと、その英語を教えてくれる相手が私の隣の住人だったのだ。確かに言われてみれば見たことあるなぁというかんじで、私はまぁそんなこともあるかくらいの気分だったけれど、向こうはかなり気まずそうだった。笑える。

しかも同じ性別ならまだよかったのだけど、これまた男性。一緒に帰りながら、さらには同じエレベーターに乗り、またねと隣の部屋に入る。なんとも変な感じだ、気まずいにもほどがある。もうのん気に部屋でズンバなんてやってられないぞ、ずるずるラーメンの音も立てられないぞ。というかね、私はそこまで気にしていなかったのだけど、向こうが「早く引っ越さなきゃ」と頻りに言っていたので、ちょっとショックだったのだ。

アパート内に仲の良い友人はいるけれど、皆別のフロア。同じフロアで仲良くなった子もいたのだけど、やはりプライベートを気にし始めたのか、あまり話さなくなった。アパートと言えども、完全に隔離されているわけでもなく、同じフロア同士でキッチン・シャワー・トイレを共有し、壁も薄いので話し声も聞こえる。いつ帰ってきたとか、誰が部屋にいるとか、いつも何を食べているとか、まぁ知りたくなくても分かってしまう。そのへんのことがあるので、同じフロア同士の接触はお互い避けているところはたぶんある。



さらに、わーびっくりした!ことがもう1つ。彼も爆笑問題カーボーイリスナーの一人だったのだ。これには笑えた。もうこれは「わ、びっくりした」のコーナーに投稿するしかないなと思っている。しかし外国人でこのラジオを聴いて面白いと言うなんて、ほんとすごいなと思う。早く太田さんに知らせなければ。



とにかくね、とっても気まずいんだけどね(笑)、世の中狭いなということだ。
この前まで同じアパートに住んでいた子なんて、地元が同じで、さらには通っていた高校まで一緒だった。地球ってもっとでかいと思っていたのに、いろいろあるもんだなぁ。