2012年12月29日土曜日

おだんごが舞う

2年ぶりにhulaに行ってきた、ふら・だんす。
hulaというのがダンスという意味なので、日本語の"ふらだんす"という単語はちょっと変なのだけど、hulaというと大抵通じないので、いつもは渋々ダンスをくっつけて人に話す。

もうとにかく楽しくて、ちゃっかり年明けからまた通うことに。

hulaと言えば、何人かでユラユラ踊るイメージが強いと思うのだけど、ソロもいいのよ。
そのまま埋め込みたかったのだけど、できなかったのでこちら→すてきだよ〜


いつかね、私もこんな風に一人で踊るのが夢なんだ。

2012年12月28日金曜日

日本には面白い人がたくさんいる

こんな気持ちのいい喧嘩ってあるのかよ、と思いながら本を閉じた。
今日は部屋のなかでも白い息がバンバン出るほど寒いのだけど、興奮している私にとってはこれくらいが丁度いいのかもしれない。暖房もホットカーペットも必要ないぞ。

つい最近のこと、うちの勝先生から面白いよと教えてもらった副島隆彦という人の対談本を読んだ。本を読む前に少しだけ動画を見ていて、そのときは「石原元都知事に似ているけど不思議と嫌なかんじはしない」と、まぁそれくらいの印象だった。私は以前から石原さんが苦手で、あの人とは一生話が合わんだろうなと偉そうにもそう思っている。そんな石原さんっぽいけどなぜか好印象の副島さん、今はとっても好きで次の1冊をすでに持っている。

今回読んだのは武田邦彦との対談本『原発事故、放射能、ケンカ対談 (2011)』というもの。正直、今の今まで原発についてよく分かっておらず、私は今かなり反省をしている。震災があった日、私は都内にいて、道路が波のようにうねるのを実際に味わった。もちろん怖かったし、それよりも何が何だか分からなかった。原発について、「え、そんなに危ないの?」とその程度のもの。元々、震災のあった月末に退職し、実家に帰るということを決めていたので、私は四国へ戻り、その後はテレビと新聞で情報をなんとなく追う、という毎日を送った。愛媛では震災が別世界で起こったかのように思われていて(私の周りを見る限り)、私も原発について知ろうとしていなかったにも関わらず、感情まかせで「悲しい、腹が立つ」などとよく言っていた。その後も自分のことが精一杯で、他のことに目を向ける余裕もなく、そして海外へ行くことになり、私の原発に対する興味はますます失われていった。海外ではよく震災や原発のことを聞かれ、私はこわかった、ひどかったの繰り返し。しかし、震災ジョークを言われると苦笑いもできずマジギレしていて、学校が嫌いになった理由もそこにある。ヨーロッパでは何度もあった、酔っぱらっているのは分かるけれど、いい加減にしろと私は怒りを抑えるのに必死だったのを今でもはっきり覚えている。

しかし、そんな私も私がこんにゃろう!と思っていた人たちと何も変わらなかった。前々から気付いてはいたけれど、この本を読んでハッキリわかった。自分こそバカ野郎なのだ。

副島隆彦は最近ここによく登場する小室先生から色々学ばれた方で、確かに小室先生とすごく似ている。とは言え、まだ本を1冊読んだ程度なのでお前に何がわかるんだ!というレベルなのだけど、それでも私は感動している。読みながら特に思うのが、知識量が半端ないということ。桁違いに学んでいるということが明らかなのだ。好きなところは難しい言葉を使わないところ、小室先生と同じで分かりやすい。ちょっと嫌いなのは人の話を「もういいです」と終了させてしまうところ。

対談相手の武田邦彦も以前から好きで、何冊か本を読んだことがある。そんな二人のケンカ対談は最後の最後まで面白かった。初っぱなから2人の立っている場所が違うので、こんなの絶対最後まで話が合わないじゃんと思っていたけれど、最終的にはなんとなく落ち着いて(和解ではないけれど)、私もコーヒーを淹れながらホッと一息ついた。

副島さんは政治・社会・経済、さらには法学などあらゆることを学んでいて、日本を本気で救おうとしている評論家。政府の人間ではない。武田さんは原発や放射能のことにおいてはトップクラスの科学者。19人の原子力委員、安全委員のなかで、ただ一人原発の安全性について反対し続けた人。

たぶん副島さんのことを知らずにこの本を読むと、嫌な気分になる人が多い気がする。さっきamazonのレビューを読んでみたけれど、実際そんな人が多かった。気持ちは分からなくもない。でもね、これが副島さんで、私は好きなのだ。

私が思うに、二人の意見がなぜ一致しないのかというと、一番に誰を守るのかという肝心なところが違うのだ。二人とも日本のことを一生懸命に考えて、多くの人を救おうとしているし、汚い政府を許さない、すばらしい方たちなのだ。しかし、副島さんは「ごちゃごちゃ言う前に目を前の人を救おうよ」と言い、武田さんは「今後より多くの人が助かるように」と発言する、出発点が違うのだ。

以前、ハーバード大学、マイケル・サンデルの「これから正義の話をしよう」の話を書いたけれど、あれについて副島さんは面白いことを言っていた。

コミュニタリアンというのは「二人の人間と一人のおじいさんを助けるときどっちを助けますか?」なんて言うけれど、助けられるほうを助ければいいじゃないか、そんなこといちいち言わなくても、助けられなきゃ助けられないし、できないことはしません。くだらないことをあっちにしますかこっちにしますかって言って、ああやって人を騙すんです!


確かにそうだなと、マイケルサンデルの講義を真面目に見ていた自分が笑えた。とまぁ、副島さんはこんな人なのだ。だから被災地の人のことを一番に考えている。東京にいる赤ちゃんや子どものことよりも、被災地の人をまず一番に救う。一方武田さんは、被ばくの影響を受けやすい小さな子どもたち(未来の日本)を一番に守ろうとしている。どちらも正しいのだ。


この対談本は2011年6月の発行で、もう1年半以上前になる。その間に色んなことが変わっているだろうし、この二人も変わっているのだろうと思う。とりあえず今後私が原発について考える1つの参考本として、次回まとめて書いておこうと思っている。



何度も耳にした、ほにゃららシーベルトという単位。
私のスマホは放射能測定機能がついていて、こんなもんいらんのに...とずっと思ってきた。よく間違って測定ボタンを押してしまい、ちょっとイラっとさせられている。が、しかし、今初めてやってみたら、、、0.09マイクロシーベルトだって。本を読んで、やっとこの単位が分かり、マイクロシーベルトか...ふむふむ、なんて思っている。


原発は本当に他人事ではなく、私も電気を使っているし、愛媛にも伊方原発がある。
とにかく今は、知ることだ。





そうだ、まだ内容の一番肝心なところは書いていないからne.
でも長くなったので、今日はおわり。

2012年12月27日木曜日

たまには動画も




私の好きな小室センセーとはこんな人。話し方が可愛いよね。

以前この動画を見たときもおおお!という気分だったけれど、『日本人のための憲法原論』を読んでこれをまた見てみると、小室直樹って本当にすごいなぁとびびってしまう。この動画だけでも面白いよね。別にデモクラシー(民主主義)でなくてもいいとか、そもそも日本にデモクラシーはないとか、一体どういうこと?と思うよね。


小室先生は本の中でも『デモクラシーとは、選挙で選ばれた国民の代表が議会で話し合って多数決で法律や国家予算を決める、とか言う人がいるけど、そんなアホな!』と言っていた。民主主義と憲法や議会制を結びつけたがる人は多いけれど、民主主義というものができる前から憲法や議会制というのは存在していて、民主主義=憲法・議会制というのは成り立たない。

じゃあ、デモクラシーって...なに?
日本は民主主義の国じゃないの?




このへんも、今後まとめて書いていくyo.

それにしても、小室直樹と談志師匠のコンビ、たまらんね。

2012年12月26日水曜日

お勉強にっき その②

その①のつづき。


前回、憲法とは誰に対してのモノなのか、憲法を破れるのは誰か、ということを書いてきた。では、憲法を含む「」とは一体何なのか。今日はここから書き始めようと思う。

小室先生は、"法とは誰かに対して書かれた強制的な命令"だと言う。つまり、どんな法も「誰が誰に命令しているか」「その法を違反できるのは誰か」ということがハッキリしているのだ。これはとっても簡単なことで、例えば銀行法は銀行に対しての命令で、銀行法を破れるのは銀行でしかない。つまり、国民が銀行法を破るというのはありえない、ということなのだ。では、どんどん進むよ。


民法を違反できるのは...?

国民全員、これは分かりやすい。

—では刑法を破れるのは...?

ちょっと考えてみてほしい。刑法には人を殺しちゃだめだとか、盗んじゃだめとは書いてはいない。何が書いてあるかと言うと、殺人をしてしまったら、盗んでしまったら懲役何年ですよ、もしくは罰金いくらですよ、ということが書いてある。じゃあ刑法を破れるのは誰なのか?

例えば人を殺してはならないと書いてあれば、殺人を犯してしまった人は法を破ったことになる。しかし刑法はそういう書き方はしていない。つまり刑法を破ることができるのは、裁判官なのだ。裁判官の権力は考えてみれば恐ろしいもので、懲役何年だとか、罰金いくらであるとか、さらには死刑まで下すことだってできる。そんな裁判官が暴走した判決を下さないように、刑法は存在している。つまり、刑法は裁判官を縛るための法で、刑法を破れるのは裁判官だけ。では次、

刑事訴訟法を破れるのは...?

そもそも刑事訴訟法というのが私は分からなかった。簡単に言うと、取り調べの際の手続きの仕方。ということは、破ることができるのは、、、行政権力、検察官となる。上は法務大臣から下は警察官まで、お上と呼ばれる人たちを縛るために刑事訴訟法というのは存在する。

ここで小室先生は面白いことを言っていた。
「裁判=真実を明らかにする場」みたいに思う人が多いと思うけれど、裁判で裁かれるのは行政権力の代理人たる検察官だからね、と。さらには、刑事裁判において被告は有罪が確定するまで無罪と見なされるのが近代デモクラシーの鉄則だと言っていて、判決が確定するまで犯罪者は存在しないため「犯罪者を裁く」という表現はありえないって。

しかし、なぜか日本人は、とくにマスコミはお上を信頼してならないので、まだ判決が出ていない段階ですでに犯罪者扱いをしてしまい、いつもおかしな方向へと走ってしまうことが多く、松本サリン事件の河野さんのような人が出てきてしまう。つまり、冤罪ってこと。さらに、検察に目を付けられて訴えられたら一巻の終わりで、有罪判決が下される率は99%以上と書いていたので、これにもびっくり。

そして小室先生は続けてピシャリ!
『検察官や刑事にろくな奴はいない、国家権力を背負っている連中は拷問やらでっち上げやら、何をしでかすか分からんぞ!ひどい犯罪者が無罪になることもあるかもしれん、しかしその害より権力のほうが文句なく大きいんだ』と言っていた。


私の父は時代劇が大好きで、よく大岡越前や遠山の金さんなんかもよく見ていたけれど、、小室直樹に言わせればこの2人はとんでもないことをやっていることになる。自分で捜査をし、証拠を集め、判決を下し、さらには無罪の民の弁護までやる。つまり刑事・検事・裁判官・弁護士、4役すべてを一人でやってしまっているのだ。確かにヒーローかもしれないけれど、今の時代にこんな人がいたら大変なことになるだろうね。



さて、ここで憲法に戻ろう。
憲法=国家権力を縛るものだと前回書いたけれど、国家権力というのは最大級に恐ろしいものなのだ。警察だって軍隊だって動かすことができるし、私を犯罪者にすることなんて権力を使えば簡単なこと。暴走すれば化け物、だからホッブズによって国家はリヴァイアサンと呼ばれるようになった。リヴァイアサンって旧約聖書に出てくる怪物なんだって。それくらい国家権力って危険なもので、だから憲法でしっかり縛っておかないといけない。そのための憲法なのだ。



そんな憲法を今、改正するか守るか、そんなことが討論されている。
すごいことだよね、皆で考えなきゃね。


さて、小室先生はその問題についてなんと言っているのか。


護憲とも改憲とも言えません。だって、今、憲法は死んでいるのだから。



気になるよね〜。つづく

2012年12月25日火曜日

お勉強にっき その①

今回からお勉強にっきと題して、日頃調べていることや読んだ本について、私なりにまとめて書いてみようと思う。帰国してからはもっぱら憲法・天皇をキーワードに調べているので、しばらくはこのネタになると思うけれど、小学生にも説明できるぞ!という気持ちで書くよ。


さて、今年のクリスマス、私はとある本に出会ってしびれていた。
「これ、面白そうでしょ?」と差し出されたのは小室直樹の『日本人のための憲法原論

まだざっとしか読めていないのだけど、ニヤニヤするほど面白い。憲法だなんて、ちょっとお堅い響きではあるのだけど、この面白さが皆に伝わるといいなぁなんて思っている。


今でも護憲・改憲問題で世間はワーワー言っていて、そしてなんだかんだ言い合いになるのは9条、護憲派は「軍隊を持つなんて、あの戦争から一体何を学んだんだ」と言い、改憲派は「よその国に作られた憲法でいいのか」とか言う。さて、憲法改正問題について皆はどう思っているのだろう。


そもそも憲法とは何なのか
小室直樹は「憲法とは慣習法である」と言う。
初っぱなから分からなかった。しかし小室直樹×憲法で検索をしてみると、いくつかの著書で同じことを主張しているということだけは分かった。慣習とは言葉のままで、長い期間にわたって繰り返し行われてきたこと、ということだけど、国民全員が日々当たり前のようにとっている行動はそれが法として定められていなくても、同じくらいの力を持っていて、そういうのを慣習法と呼んでいる...みたい。しかし、日本国憲法は慣習法ではなく成文法(手続きによってきちんと制定された法)とされていて、小室先生の意見とは違うんだよね。...このへんはちょっと曖昧なので、また今度。


とりあえず分かるところから。憲法って誰が守るものなの
言い換えると、誰に対して作られたものなのか。以前から軽くは調べていたので、私もちょっとは知っているつもりだった。なので、「憲法は国家権力に対して存在するものです、つまり守るのは国家です!」と心の中で答える。しかし、読み進めていくと、私の理解は本当に甘いものだったということが分かった。

では、憲法を破れるのは誰ですか?

本に書いてあった例を挙げると、たとえばお父さんが子どもに対して「お前の言うことなんか聞かん!」と言ったとしよう。するとちょっと知ったような子どもは「お父さん、それは言論の自由を侵している。憲法違反!人権侵害!」なんてギャーギャー騒ぐ。さて、お父さんは憲法違反をしていると言えるのか。じゃあこっちはどうか、会社で部下の意見を上司が圧殺しようとしている。これも憲法を破ったことになるのか?

ここで、もう一度「憲法を破れるのは誰か?」という質問に戻る。憲法は国家権力に対して作られたもの、つまり憲法を守るのは私たち国民ではなく国家。ということは、憲法を破れるのは国家しかない。国家が国民の自由を奪えば違反になるので、さっき挙げた例で憲法違反を出してくるなどチャンチャラおかしいということになる。もしどうしても訴えたければ名誉毀損や脅迫、営業妨害で訴えろと小室先生は言っていた。なるほど。



憲法は国家権力を縛るためにあって、国民が守る法ではない。

じゃあ国民が守らなければならない法とは何なのか、なぜ憲法で国家権力を縛らなければならないのか、、、明日につづく。





※慣習法のところ、一度ごっそり書き直しました。

2012年12月18日火曜日

そうだ、韓国へ行こう

アニョハセヨ。
真夜中の韓国海苔はなんだかチョット寂しい。

先日、涼子と韓国に行ってきた。涼子というのは短大時代のあだ名で、ちなみに私はキャサリンだった。涼子ってなんとなく清楚な感じがする、ただそれだけで決めた気がする。そんな涼子と卒業旅行以来の韓国へ。

韓国へ出発する5日前、涼子からLINEが入った、「週末韓国どう?」と。もちろん私は断る理由もなく、私たちはスカイプをしながら航空券を探し始めた。安そうなものを見つけては問い合わせの繰り返し、しかし思うような値段では見つからず、結局エアアジアを使うことに。最初からエアアジアは候補に上がっていたのだけど、最後まで決まらなかったのは成田便しかないという理由だった。やっぱり成田は...遠いのだ。

しかしLCCは安くて本当に有り難い。エアアジアだと成田〜仁川で安いときは10000円を切るらしい。実家に帰るより安いとはこのことなのね。国内線もこんな風にモット安くなればいいのにと思っていると、さっき涼子から画像が送られてきた。「スカイマークの国内便が10000円」という看板。さっそくそれを使って九州へ行こうと、私の頭の中はすでにそのことでいっぱい。まだ取れるかしら。


話は戻り、とにかく良い旅行だった。涼子はプラン作りの才能があり、涼子と何処かへ行くと必ずその土地が大好きになる。今回もますます韓国が大好きになって帰ってきたのだけど、それ以上に韓国人を見習いたいなと思うところがたくさんあった。渋谷の飲食店やファッションビルで、どれだけ韓国語が通じるのか試してみたいほど、ソウル市内はびびるくらいに日本語が通じた。私が英語で聞くと、日本語でいいよと何度言われたことか。帰りの便では後ろに座るコリアンボーイの流暢な日本語にショックをうけながら(良い意味で)、なんで私の横じゃなかったんだよと座席の間から話に混ぜてほしくてウズウズしていた。

その男の子は憲法改正から恋愛まで色んな話をしていた。私も韓国語を話せたら韓国人に聞いてみたいことが山ほどあるのになぁと、隣りに座っている涼子に「よーし、韓国語勉強しよう。あ、でもドイツ語もやるんだった、あ、中国語もいいよね」なんて、とりあえず宣言。ちなみにその男の子の話を2時間盗み聞きしていたのだけど、徴兵制の話がとても興味深かった。こちらにとっては1つ1つが新鮮な話ばかりだったのだけど、その子に言わせれば、「徴兵制がある国ではこんなのアルアル話だよ」と。ああ、思い出すだけでなんで私の横は普通のおじさんだったんだよ、と思う。いや、機内販売をあんなに利用しているおじさんは初めてだった。座席の前に入っているカタログであんなに買い物するなんて...


とにかく、韓国も外国人に優しい国だと思う。相手に本当に優しくなれるのは、相手のことを知らないとできないと私は思うのだけど、韓国人が海外にたくさん出ていることがちゃんと韓国に反映されている、もしくは今後もっと大きなパワーになるんじゃないかなと思う。日本は元から優しい人ばかりだし、口に出さなくても察することができる能力が高いから、相手を知ろうとする気持ちが強くなれば、もっともっと良い国になると思うんだけどなぁ。もちろん相手だけではなくて、自分を知ることも大事なのだけどね。ここもバランス。




では、アンヌンヒ ズムシッシオ!(おやすみなさい)

2012年12月10日月曜日

おいしいトマトとは

先日皆でランチをしたときのこと、飛騨トマトの話が出た。そこで働くお兄さんがそのトマトを取り寄せているんだとか、そんな話だったような気がするのだけど、私は別のトマトのことを思い出していたので、あまり話を覚えていない。

確かにね、飛騨トマトは美味しいと思う。取り寄せてまで食べる価値がある気もする。でも、やっぱりストーリーがあるトマトのほうが絶対旨いと私は思っている。例えば自分で育てたトマトとかね、絶対美味しいんだよ。私が思い出していたトマトというのは、お遍路で高知を歩いていたときの話で、あれは5月で天気も良く、結構暑い日だった。トマト農家の横をテクテク歩いていると、そこにいたオバちゃんに道間違っとるよ〜なんて言われて、まぁまぁトマトでも食べなさいと、もぎたてトマトを3個もらったのだ。そのあと宿に着いて、なまぬるいトマトでも食べるかと一口かじったところ、私は感動してしまった。うまいうまいと、大きいトマト3個をペロリ。こんな美味しいトマトがあったのか!と、トマトばんざーいと思いながらその日は寝た気がする。


上の写真は、先日 Kouちゃんと武蔵五日市へ滝を見にいったときのものなのだけど、このときKouちゃんの髪は良いかんじにソヨソヨとなびいていた。天然マイナスイオンをガンガン浴びて、私たちは気分良くなっていたのだけど、このマイナスイオンも今では当たり前のように機械で作り出すことができる。ドライヤーにも美顔器にもその機能がついていて、確かに効果もあると実際使いながら思う。しかし、やっぱりね、滝を見にいくというストーリーあってこそのマイナスイオンだからカラダは喜ぶんだ、と私は思っている。

もう1つ言えば、Achiyoさんというお姉さんからもこんな話を聞いた、「本物のアロマテラピーというのはね、実際に山のなかに入って、季節の花や植物の匂いを嗅ぐことなのよ」と。この話を聞いたとき、すごく嬉しくなったのを覚えている。

最近は、何かとすぐ手に入れられるようになったというか、多くのことが疑似体験できるようになったけれど、やっぱりそこに行き着くまでのストーリーが長ければ長いほど面白いなぁと思うようになった。取り寄せるのではなく、実際に行ってみるというのは、とても価値あることなのだ。



ということで、私は宇宙へ行くぞ。
宇宙までのストーリーはすんごく長くなりそうだね。

2012年12月9日日曜日

食の三原則


私の周りには食に対して愛情のある人たちがとっても多い。それは本当に嬉しいことだし、勉強にもなる。祖父母からは実際に野菜を育てるということを、主婦である友人からは料理の仕方を、一緒にゴハンを食べる仲間たちからは食べ方を、皆がわたしに色んなことを教えてくれる。

最近でも、無農薬の食材を使うだとか、電子レンジは一切使わないだとか、そういうことがまだよく言われるけれど、一番大事なのは「美味しいね、楽しいね、嬉しいね」という気持ちなんだなと、ついこの間、再確認したところだ。

今回引っ越すにあたって、炊飯器は買わず圧力鍋で炊くことにしたのだけど、買う前までは圧力鍋のメリットしか知らず、使い始めて数日後にデメリットを聞くことになった。確かに素早く美味しい料理を助けてくれる圧力鍋だけれど、やはり一気に加圧するため食材の繊維というか、栄養は破壊されるんだとか。まぁ考えてみれば当たり前のことで、食材だって、あんなお鍋の中に閉じ込められて圧力をぎゅーぎゅーにかけられたら、もうだめ〜って壊れるよね。とにかく、楽チンになる=何かしらのリスクが伴う、ということを、いつも忘れてはいけないなぁと思う。

そんな話を聞いて、「じゃあ圧力鍋なんて買うんじゃなかったなぁ〜」と言う私にKayoちゃんはこう言った、「だからと言って、圧力鍋を平気でポイして新しいものを買うという行為は、とっても悲しいことだよ」と。テレビでも雑誌でも、「実はあそこに落とし穴が、本当に良いものはこっち!」だとか、そういうことばかり言って、肝心なこと、例えばモノを大事に扱うとか、楽しく食べるとか、そういうことはあまり言わない。確かに、そんなことは当然のことなのかもしれないけれど、私はこういうことをちゃんと言ってくれる大人がそばにいて、本当によかったとその日思った。


誰かにゴハンを作る立場になれば、誰だって皆に良いものを食べてもらいたい、食べさせたいと思う気持ちは分かる。だからと言って、変に食材にこだわり過ぎたり、お金をかけ過ぎたり、食べるものを制限し過ぎたりと、それで皆がハッピーなら問題はないのだけど、果たして本当にそうなのか。もちろん全員のカラダのことも大事だけれど、食べるときの皆の表情を先に確認したほうがいいのではないかと思う。




今日はオススメの漫画を1つ。
『玄米せんせいの弁当箱』という漫画。主人公の名は結城玄米、すごいでしょ。食について考えるきっかけにもなると思うし、もちろん内容も面白い。私が思う主人公の良いところは、これは良いあれは悪いと判断しないところなのだ。さらに、働く主婦が料理に時間をかけるのが難しいことも分かっているし、核家族化で皆でごはんを食べるのが難しいのもわかっている。その他、いろんな問題をわかった上で食の楽しみ方を言っているので、私はそんな玄米せんせいが好きなのだ。





それにしても圧力鍋、
びびるくらいに早いんだよね〜。

2012年12月8日土曜日

SUSHIを食べるまで

いつだったか、毎日何かしら発信するというのも、何かの練習になるかなと思った時があった。それが先月の頭くらいの話、しかし今のところほぼ更新なし、が続いている。書こうと思うことは結構あるのだけど、それを書いたほうがいいのか、書かないほうがいいのか、そんなことで迷っているうちに寝てしまうのだ。


今日は朝から無性にお寿司が食べたいとずっと思っていた。宅配寿司のチラシを持っていたので、一番安いものを探してみると1000円ちょっと。寿司8貫か、丼物1つ。それなら歩いてスーパーに行けば580円で同じものが食べられると思い、宅配は却下。それなら近くに回転寿しがないかなぁと調べ始めると、自転車でちょっと行ったところに1件見つけた。しかしスシローでもなく、カッパ寿司でもない回転寿し。一人回転寿しをするときのマイルールは1皿100円なので、これも却下。電車を乗れば100円寿司もあったのだけど、電車を乗ってまで行きたくなかったのでこれまた却下。

こんな話を母親にするといつも笑われる。そんなに生活が苦しいの?って。おいおい、生活が苦しいというレベルは人それぞれだけど、私の場合、米に白胡麻と醤油をかけて食べるというのを生活が苦しいというのだ。寿司を食べようなんぞ思えるときは、苦しくともなんともない。それ(米×醤油)が2週間なんて続くとね、ちょっとめまいがする。と言っても私のギリギリ生活なんて可愛いもので、ホカホカご飯が食べられるだけで贅沢なのだ。さらに今日のことについて言えば、苦しいのクの字もないよ、ただ遊んでいるだけ。


いかに安く美味しいものを食べるか、私は楽しんでやっている。安く済ますという点では自炊という手もあるけれど、やっぱり一番は食べさせてもらう、またはお裾分けというパターンだ。完全にゼロ円なのだから、一番嬉しいよね。次は食材をタダでもらって自炊。その次に安いものを手に入れるとかね。高いものは絶対食べないとか、カラダに悪くてもとにかく安いもの!とか、そういうことではなくて、ただ単に"安く美味しいものを食べる"というのが私は好きなのだ。


この話は1人でいるときに限るので、誰かと食事をするときなんかは考えたこともない。その場合はあくまで食事の空間が私にとっては第一なので、お金のことはほぼ無視。お金はこういうときにどーんと使うんだよ、と昔から思っている。節約というのはケチということではなく、使うべきところにしっかり使えることを言うのであって、私はそういう節約家になりたいのだ。

で、今日の寿司が食べたいという件がどうなったかというと、結局自分でネギトロ丼を作って300円でお腹いっぱい食べたという結果に。250円の特売ネギトロに47円の大葉、酢飯は自分で作った。家の良いところというのは食べてすぐに横になれるという点、あれ最高。まぁよくよく考えてみると、寿司というより酢飯が食べたかったことにも気がついて、さらにはネギトロがアボカドとそんなに味が変わらないということも再確認して、私は大満足でポカポカカーペットにごろん。




写真はうちのすぐ近くの鶏肉屋さん。外で焼き鳥もジュージュー焼いていて、安いし旨い。おだんごちゃんと焼き鳥パーティーなんて、どうでしょう。今ならフレッシュ・ポンジュース付き。いや、やっぱり焼き鳥にはビールなのかな。