その①のつづき。
前回、憲法とは誰に対してのモノなのか、憲法を破れるのは誰か、ということを書いてきた。では、憲法を含む「法」とは一体何なのか。今日はここから書き始めようと思う。
小室先生は、"法とは誰かに対して書かれた強制的な命令"だと言う。つまり、どんな法も「誰が誰に命令しているか」「その法を違反できるのは誰か」ということがハッキリしているのだ。これはとっても簡単なことで、例えば銀行法は銀行に対しての命令で、銀行法を破れるのは銀行でしかない。つまり、国民が銀行法を破るというのはありえない、ということなのだ。では、どんどん進むよ。
—民法を違反できるのは...?
国民全員、これは分かりやすい。
—では刑法を破れるのは...?
ちょっと考えてみてほしい。刑法には人を殺しちゃだめだとか、盗んじゃだめとは書いてはいない。何が書いてあるかと言うと、殺人をしてしまったら、盗んでしまったら懲役何年ですよ、もしくは罰金いくらですよ、ということが書いてある。じゃあ刑法を破れるのは誰なのか?
例えば人を殺してはならないと書いてあれば、殺人を犯してしまった人は法を破ったことになる。しかし刑法はそういう書き方はしていない。つまり刑法を破ることができるのは、裁判官なのだ。裁判官の権力は考えてみれば恐ろしいもので、懲役何年だとか、罰金いくらであるとか、さらには死刑まで下すことだってできる。そんな裁判官が暴走した判決を下さないように、刑法は存在している。つまり、刑法は裁判官を縛るための法で、刑法を破れるのは裁判官だけ。では次、
—刑事訴訟法を破れるのは...?
そもそも刑事訴訟法というのが私は分からなかった。簡単に言うと、取り調べの際の手続きの仕方。ということは、破ることができるのは、、、行政権力、検察官となる。上は法務大臣から下は警察官まで、お上と呼ばれる人たちを縛るために刑事訴訟法というのは存在する。
ここで小室先生は面白いことを言っていた。
「裁判=真実を明らかにする場」みたいに思う人が多いと思うけれど、裁判で裁かれるのは行政権力の代理人たる検察官だからね、と。さらには、刑事裁判において被告は有罪が確定するまで無罪と見なされるのが近代デモクラシーの鉄則だと言っていて、判決が確定するまで犯罪者は存在しないため「犯罪者を裁く」という表現はありえないって。
しかし、なぜか日本人は、とくにマスコミはお上を信頼してならないので、まだ判決が出ていない段階ですでに犯罪者扱いをしてしまい、いつもおかしな方向へと走ってしまうことが多く、松本サリン事件の河野さんのような人が出てきてしまう。つまり、冤罪ってこと。さらに、検察に目を付けられて訴えられたら一巻の終わりで、有罪判決が下される率は99%以上と書いていたので、これにもびっくり。
そして小室先生は続けてピシャリ!
『検察官や刑事にろくな奴はいない、国家権力を背負っている連中は拷問やらでっち上げやら、何をしでかすか分からんぞ!ひどい犯罪者が無罪になることもあるかもしれん、しかしその害より権力のほうが文句なく大きいんだ』と言っていた。
私の父は時代劇が大好きで、よく大岡越前や遠山の金さんなんかもよく見ていたけれど、、小室直樹に言わせればこの2人はとんでもないことをやっていることになる。自分で捜査をし、証拠を集め、判決を下し、さらには無罪の民の弁護までやる。つまり刑事・検事・裁判官・弁護士、4役すべてを一人でやってしまっているのだ。確かにヒーローかもしれないけれど、今の時代にこんな人がいたら大変なことになるだろうね。
さて、ここで憲法に戻ろう。
憲法=国家権力を縛るものだと前回書いたけれど、国家権力というのは最大級に恐ろしいものなのだ。警察だって軍隊だって動かすことができるし、私を犯罪者にすることなんて権力を使えば簡単なこと。暴走すれば化け物、だからホッブズによって国家はリヴァイアサンと呼ばれるようになった。リヴァイアサンって旧約聖書に出てくる怪物なんだって。それくらい国家権力って危険なもので、だから憲法でしっかり縛っておかないといけない。そのための憲法なのだ。
そんな憲法を今、改正するか守るか、そんなことが討論されている。
すごいことだよね、皆で考えなきゃね。
さて、小室先生はその問題についてなんと言っているのか。
『護憲とも改憲とも言えません。だって、今、憲法は死んでいるのだから。』
気になるよね〜。つづく
前回、憲法とは誰に対してのモノなのか、憲法を破れるのは誰か、ということを書いてきた。では、憲法を含む「法」とは一体何なのか。今日はここから書き始めようと思う。
小室先生は、"法とは誰かに対して書かれた強制的な命令"だと言う。つまり、どんな法も「誰が誰に命令しているか」「その法を違反できるのは誰か」ということがハッキリしているのだ。これはとっても簡単なことで、例えば銀行法は銀行に対しての命令で、銀行法を破れるのは銀行でしかない。つまり、国民が銀行法を破るというのはありえない、ということなのだ。では、どんどん進むよ。
—民法を違反できるのは...?
国民全員、これは分かりやすい。
—では刑法を破れるのは...?
ちょっと考えてみてほしい。刑法には人を殺しちゃだめだとか、盗んじゃだめとは書いてはいない。何が書いてあるかと言うと、殺人をしてしまったら、盗んでしまったら懲役何年ですよ、もしくは罰金いくらですよ、ということが書いてある。じゃあ刑法を破れるのは誰なのか?
例えば人を殺してはならないと書いてあれば、殺人を犯してしまった人は法を破ったことになる。しかし刑法はそういう書き方はしていない。つまり刑法を破ることができるのは、裁判官なのだ。裁判官の権力は考えてみれば恐ろしいもので、懲役何年だとか、罰金いくらであるとか、さらには死刑まで下すことだってできる。そんな裁判官が暴走した判決を下さないように、刑法は存在している。つまり、刑法は裁判官を縛るための法で、刑法を破れるのは裁判官だけ。では次、
—刑事訴訟法を破れるのは...?
そもそも刑事訴訟法というのが私は分からなかった。簡単に言うと、取り調べの際の手続きの仕方。ということは、破ることができるのは、、、行政権力、検察官となる。上は法務大臣から下は警察官まで、お上と呼ばれる人たちを縛るために刑事訴訟法というのは存在する。
ここで小室先生は面白いことを言っていた。
「裁判=真実を明らかにする場」みたいに思う人が多いと思うけれど、裁判で裁かれるのは行政権力の代理人たる検察官だからね、と。さらには、刑事裁判において被告は有罪が確定するまで無罪と見なされるのが近代デモクラシーの鉄則だと言っていて、判決が確定するまで犯罪者は存在しないため「犯罪者を裁く」という表現はありえないって。
しかし、なぜか日本人は、とくにマスコミはお上を信頼してならないので、まだ判決が出ていない段階ですでに犯罪者扱いをしてしまい、いつもおかしな方向へと走ってしまうことが多く、松本サリン事件の河野さんのような人が出てきてしまう。つまり、冤罪ってこと。さらに、検察に目を付けられて訴えられたら一巻の終わりで、有罪判決が下される率は99%以上と書いていたので、これにもびっくり。
そして小室先生は続けてピシャリ!
『検察官や刑事にろくな奴はいない、国家権力を背負っている連中は拷問やらでっち上げやら、何をしでかすか分からんぞ!ひどい犯罪者が無罪になることもあるかもしれん、しかしその害より権力のほうが文句なく大きいんだ』と言っていた。
私の父は時代劇が大好きで、よく大岡越前や遠山の金さんなんかもよく見ていたけれど、、小室直樹に言わせればこの2人はとんでもないことをやっていることになる。自分で捜査をし、証拠を集め、判決を下し、さらには無罪の民の弁護までやる。つまり刑事・検事・裁判官・弁護士、4役すべてを一人でやってしまっているのだ。確かにヒーローかもしれないけれど、今の時代にこんな人がいたら大変なことになるだろうね。
さて、ここで憲法に戻ろう。
憲法=国家権力を縛るものだと前回書いたけれど、国家権力というのは最大級に恐ろしいものなのだ。警察だって軍隊だって動かすことができるし、私を犯罪者にすることなんて権力を使えば簡単なこと。暴走すれば化け物、だからホッブズによって国家はリヴァイアサンと呼ばれるようになった。リヴァイアサンって旧約聖書に出てくる怪物なんだって。それくらい国家権力って危険なもので、だから憲法でしっかり縛っておかないといけない。そのための憲法なのだ。
そんな憲法を今、改正するか守るか、そんなことが討論されている。
すごいことだよね、皆で考えなきゃね。
さて、小室先生はその問題についてなんと言っているのか。
『護憲とも改憲とも言えません。だって、今、憲法は死んでいるのだから。』
気になるよね〜。つづく

0 件のコメント:
コメントを投稿