2013年10月31日木曜日

空腹の喜び

お腹が減るとイライラする人もいるが、私は嬉しくなる。

もちろん幼い頃は機嫌が悪くなっていたと思うが、中学生くらいの頃からは"空腹"と"喜び"がイコールで結ばれている。自分が健康なのだということを実感するのだ。

よくは覚えていないのだが、きっと体調を崩したのがきっかけだろう。私の中では「食欲不振=かなり辛い」が同じようにインプットされていて、食欲がないことに対してはかなりマイナスのイメージが強い。


そんな私、ここ最近あまり食欲がなかった。

どんどん弱っていっているような自分がすごく嫌で、それなのに食べることを欲しないカラダに文句も言えず、「ああ、早くお腹減ってくれ〜」と祈るばかりの毎日。それでもまぁカラダの気持ちを優先させてあげるかと、ほんの少し食べれる分だけを食しているとカラダは元気をなくすばかり。完全に悪循環にハマってしまった。


そんなことを話していると、こんな意見が聞けた。


「 無理矢理食べるのも大事だなと思うようになったよ。これもコントロールの1つじゃないかな。」

なんとなく、カラダの声を優先させようと思って過ごしてきた。でも確かに、カラダのことを思ってええい!と無理矢理食べてやるのもいいのかもね。


そんなことを思っていたら、昨日から食欲復活。
朝から、起きた瞬間から、腹ぺこな自分が嬉しい。

2013年10月30日水曜日

まいちゃんと呼ばれて


今日吹矢へ出かけたときのこと。
一見頑固そうで難しそう、いわゆる職人気質を持つ平塚さんが私のことを初めてこう呼んだ、

「まいちゃん」

珍しい名字を持つせいか、大人になったせいか、東京に出てきてからは名字で呼ばれることがほとんどで、まいちゃんと呼んでくれる人は数えるほど。そんな中での平塚さんだったので、なんだか嬉しくて夜になっても私はまだその余韻に浸っている。


たかが「まいちゃん」で何でこんなにもテンションが上がるんだ?とふと考えてみると、答えはとても単純だった。

小さい頃、周りの大人たちが私のことをそう呼んでいた。だからまいちゃんと呼ばれると、あの頃の守られている感が私を包み、なんだかホッとするのだ。

私はこの歳になっても、まだまだ甘えたいのかもしれないなぁ。



まぁどんな呼ばれ方にせよ、呼んでくれるだけで嬉しい。結局最後にはそうなる。

"さん"付けも上品で好き、呼び捨てもなんか好き、タンコロ(高校の頃のあだ名)も恥ずかしいけど好き、もちろんおだんごも好き。



でもタンコロはやっぱり笑える。

2013年10月6日日曜日

日記をつける


「昨日何やってたんだっけな。」

春くらいからすっかり日記を書かなくなった。日記とはこのblogではなく手書きのもので、毎日とは言わないがほぼ間が空くことなく書き記した秘密のメモのこと。

ふと思うことがある、もし私が今日何かしらのアクシデントで死んでしまったらこの内容が皆にバレてしまうのか、と。早くどこかに隠さなければと思うのだけど、どうせ隠したって見つかるんだから、私にはバレるか書かないかの2択しかないのだ。とはいえ、そんなことを心配したって、死んだらそんなことを気にすることさえできないことは十分に分かっている。

こんなことを中学の頃から何度も思ってきているんだから、私の頭の中は全然変わっていないんだなと悲しい気持ちになった。

似たようなことがたまにある、2年前に書いたことと同じようなことを書いてしまったことに気付いたときのあのショック。お前全く変わってねーぞ!とハッキリと気付かせてくれる日記(自分)に感謝するべきなのだろうけれど、バカ野郎といつもゴミ箱へ捨てたくなる。今でこそ有り難く受け入れられるようになったけれど、日記とは結構恐ろしいものなのだ。

しかし、ジーンとくることも多い。
すっかり忘れていた出来事やそのときの感情がそこにはいっぱい詰まっていて、誰にも見せられないけどたまに読み返すのは私の密かな楽しみでもある。

最近実家がリフォームをすることになり、盆明けに帰省した際、実家に残してあったこれまでの日記を段ボールの奥底に閉まってきた。中学の頃にしていた交換日記を今読むと「ほんまアホやな」と言ってやりたくなるけれど、中学生の私にとってはそのアホな内容が頂点だった。しかしアホなりに人間関係を必死に学んでいるようにも思え、「あんたも色々悩んでたんやね」とキティちゃんのノートを静かに閉じた。


そういえば、どっかにファーストキスのこと書いてたんじゃないの?!と今思い出す。きっとひどい顔をしてキスをしたに違いないけれど、日記のなかでは結構盛って書いているはずだ。何かの味がしたとか書いていたら、、消えてしまいたい。



で、昨日は何してたんだっけ。