プールに行けば風邪も吹っ飛ぶかなと思ったけれど、そんなこと、あるわけなかった。おかげでますますひどくなる。
久々のプールは楽しかったけれど、たった100M泳いだだけでもうフラフラだった。Hey, lazy girl!と言われ、ブクブクブクと水の中に隠れる。フラフラだったのは元から体力がないだけなのか、風邪で若干弱っているからなのか、微妙なところ。
プールには素敵なインストラクターがいて、その彼が見える範囲ではいつもお腹をひっこめていた。コンラッドと彼が知り合いで、彼らが話しているときはいつもコンラッドの後ろに隠れ、「どーも」という感じでさらにお腹をひっこめていた。そんな夏がすでに懐かしい。
それから数日後、友人の家の晩ご飯に招待されたので行ってみると、なんとその彼がいたのだ。「あ...プールの...!」『あ...君は...!』なんていう夜の再会。その友人の親友だったらしく、服を着ていてもやはり彼はまぶしかった。名は"アンドリュー"、リューのところを巻き舌でね、ウィーンでは有名な水泳選手だったんだとか。それから皆で仲良く食事をしていたのだけど、どうも気になったので聞いてみた、
「ところでさ、この可愛い子ちゃんたちは誰の子?」
『僕の娘だよ』
と、あんどりゅー。もうそこからはお腹をひっこめることもなくなった。しかし、どこへ行っても子どもは可愛いし面白い。ロンドンでは「おだんごの子どもが早く見たいよ」と何度も言われたけれど、私の子どもだなんて、なんだか笑える。おだんごに こだんご。
Facebookでは皆の結婚や出産話で毎日のように盛り上がっている。私はこの半年間、「私は一体何がしたいんだ?」ということを考えてきた。それは出会う人、行く場所によってコロコロ変わって、例えば教育に携わっている人と話すと「子どもたちと一緒に何かやりたい」と思うし、自然のなかに行けば「毎日この星空が見えるところに住みたい」と思う。皆と踊りに行けば「ダンスができればあとは何でもいいや」、博物館へ行くと「やっぱ宇宙に行かなきゃな」、旅人に会えば「私も世界中を周りたい」、のんびりした生活を送ると「田舎で畑を耕すのもいいな」、仲間に会えば「やっぱり街に住もう」とか。
でも最終的にこう思った。どんなにやりたいことがあっても、どんなに住みたい場所があっても、大好きな人に「一緒にこい」なんて言われたら、一旦全部捨ててそっちに行くんだろうな、と。そしてそこで、また自分の楽しみを見つける。「やっぱりね、一番は愛なんだよ」と、旅の後半は皆によく話していた。それがどんな山奥だろうと、田舎だろうと、野宿生活だろうと、漫画が読めなくなろうとも、私には関係ないのだ。それまでは気の向くままに、やりたいことをどんどんやろうと今はそう思っている。
つい数ヶ月前までは「何か」を見つけたかった。私の使命というか、私に一番向いていること、自分の能力が一番発揮されるもの、自分を満たしてくれるもの、とにかくハッキリした何かが欲しかった。しかし最近はそういう気持ちもなくなり、「何か」にこだわるよりは、どんな場所でも何をしていても、私らしさが出せて、何よりも楽しめれば、そのほうがいいじゃん、と。それにね、どこででも楽しむというのは結構難しいものなのだ。
そんな思いをもって、日本に帰るぞー。