2012年5月18日金曜日

からだで読む

竹内敏晴・木田元の『待つしかない、か。(2003)』を読む。
前に一度読みかけて、あまりの分からなさに放り投げていた1冊だった。今朝は目覚めもよく、なんとなく今なら読めそうと思い、途中2度ほど眠りに落ちながらも昼前には一応読み終えた。しかし、やはり今の私にはほとんど理解できず、果たしてこれを読んだと言えるのだろうかと思うけれど、まぁ一応最後まで一度読み終えたということにしよう。

木田さんは言っていた、「からだで読むんだ」と。そこは私にも分かる気がした。毎日少しずつでも読んでいると、だんだんからだが文体に慣れていき、そうなると著者の言っていることもよくわかってくる、と。難しくて投げ出した本が今までに何冊もあるけれど、今夜からまた読み始めてみようという気持ちが湧いてきた。

途中、「外から来る価値を拒否する」という節があって、3ページほどだったけれど面白かった。「自分の生活の外から持ち込まれてきた価値、いわば超越的な価値として提示されたものを拝跪して受け入れることだけは絶対に拒否する気持ちが強くあった」と竹内さん。ヒューマニズムだろうとキリスト教であろうとマルキシズムであろうと、、、などと例を挙げていたけれど、もっと小さなことでもいいのだと思う。私にとってはこの本に書いてある竹内さんや木田さんの言葉だって外から来るもので、鵜呑みにはしないからなと思っている。何かを読むときや人と話すときもそうだ。別に否定しているわけではなく、自分の言葉でストンと理解するまでは納得できないのだ。

竹内さんはそのあと「しかし外から来たものをはねつけるといったって、それじゃあ自分の中に何があるか、ゼロだ。」と言い、「では自分というものをどこで見つけたらいいか、その根拠を一生懸命探す」というかんじで話が続いていく。で、その辺からまた分からなくなった。

面白い、わからない、その繰り返しだ。


終盤に差し掛かった頃、結局この2人は何が言いたいんだろう?とそのままのかんじで読み進めていたのだけど、竹内さんのこの言葉に惹かれた。

『「しぶとく生きる」という言い方しか見つかりませんが、これは「待つこと」でもあろうかと思っています。「待つ」とは何もせず坐っていることでもなくて、仕掛けようと支配しようとすることを断つこと、生起して来るものへ向かって身を謙虚に保ちつづけることだろう、と。』

あぁ、これって私に足りないものだなと思った。私は頭で考えることが多すぎる、無駄なものが多過ぎて、竹内さんの言葉を借りると「身を澄ます」ということが苦手なのだ。カラダの深い部分に集中してみたい、私もこれを体験してみたい、さっそく今日から始めよう、訓練だ。

結局今回読んでみて、何かをするにも、何かを理解しようとするにも、やっぱりカラダからなんだなとそれくらいのことしか分からなかったけど、今はそれだけで十分だと思った。一生懸命読んだ自分ばんざーい。



ふと、沈黙の艦隊の感想を書こうと思ったので、また明日にでも。
おだんごブログを読んで、何かを考えるきっかけだったり、何かを始めるきっかけになってくれるといいなぁなんていつも思っているのだけど、どうかしら。ただの日記にはしたくないなと始めから思っていて、いつも書くときは何気に悩んだりしているのだ。

とりあえずまた明日。

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